YJ COUNSELING OFFICE blog

福山市にある『みんなのカウンセリングルーム』の代表ブログです。

トラウマとは何か(3)~「体験」を複雑にさせる「記憶」~

今回は、僕たちの「記憶」という問題と、「こころのキズ」との関係について触れてみたいと思います。前回の「体験」も関わってくるので、まだご覧んなられてない方は過去の記事をご参照ください。

 

yjcounseling.hatenablog.com

 

僕たちは、いろんな体験を記憶しています。

例えば、「昨日の夜、漢字を覚えた」というような過去の出来事や体験しっかり憶えることができます。また、単に憶えているだけではなく、その出来事や体験を、物語ることができます。一見、ものすごくシンプルな記憶のように思える例えでも、このような記憶を物語れるには、かなり複雑な心理的なプロセスを経ていると考えられます。

上記の例えで言うと①その夜に覚えた漢字を、今日、再生できるという意味での記憶の問題と昨日の夜のひとつのエピソードとしての記述できる記憶の問題とが関係していることは、言うまでもありません。また、そこには、難しい漢字を書けるようになった時の、「喜び」や「興奮」、場合によっては、「鳥肌」といった、③感情的且つ、感覚的な記憶というもの当然、含まれるかと思います。

このように、少なくとも、ふたつ以上の次元の違う記憶の複合体として、僕たちは、過去の出来事や体験を記憶しております。それは、どの次元も決して欠くことができないものであります。

 

f:id:YJcounseling:20171114142445j:plain

 

このような記憶の複合体が完成することで、僕たちは、過去の出来事や体験を、はじめて物語ることができます。また、とても大切なこととしては、そのことで、「今」や「今日」という時間軸がはっきりとした感覚として浮かび上がり、過去の出来事や体験と、「今の自分」との繋がりができる一方、過去の出来事や体験は、「過去のもの」として、置いておくことができます。

記憶というと、当然、それは、「過去のもの」なのですが、過去のことを過去のこととして感じられるってことは、実は案外と難しいことなのです。余談ですが、夢の話で、その難しさについて、なんとなく理解できますが、皆さん、間違いなく昨日見た夢なのに、「なんかすごい昔に見た夢」という感覚に陥ることってありますよね。それは、単に、もっと以前に同じ夢をみたからそう感じる、という理屈では説明できない、とても不思議な感覚であります。

 

f:id:YJcounseling:20171114144410j:plain

 

 さて、「こころのキズ」の話に戻りまして、僕たちは、「トラウマ的な体験」をちゃんと記憶しているのでしょうか。

 

一般的には、カウンセリングルームに来られるクライエントのみならず、何らかの「こころのキズ」を負っている方は、その発端となっている「トラウマ的な体験」をうまく話すことができません。うまく話すことができない、という問題は、単に、そのことをうまく説明できないという問題だけではなく、先ほど、説明した、「昨日の夜、漢字を覚えた」という記憶の複合体として、物語ることができない、ということとなります。

具体的には、その体験を話している最中に、時系列がはっきりしなくなり、結局なにが起きたのかよくわからなくなったり、もしくは、全く覚えていなかったりします。

また、なんらかの圧倒的な感情(恐怖や不安、悲しみ等)や、場合によっては、その時の峻烈な感覚(痛み等)に覆われてしまい、それ以上が先が話せなかったりもします。

更には、どんな出来事や体験であったのかは、事細かに正確に話すことが出来るけど、どこか、「自分じゃない他人の出来事や体験」「架空の人物の物語」のように淡々と話される方もいらっしゃいます。そのような物語り方は、やはり、「昨日の夜、漢字を覚えた」という記憶とは、どこか異なるような感じをカウンセラーは受けるものです。

 

f:id:YJcounseling:20171114144700p:plain

 

そう考えると、僕たちは、「トラウマ的な体験」というものを記憶していないのかなと、思ってしまうのですが、結論的には、実はそうではないのです。

 

僕たちは、「トラウマ的な体験」を記憶しております。

 

しかし、前回でも、触れたように、「自分の危機」としての「体験」が、強引に引き裂かれたことによって、「過去の出来事や体験」が、記憶の複合体として、完成されないままになっているということと関係します。

たとえ、完成された記憶があったとしても、「自分の危機」を目の前にして、自分との繋がりを失い、記憶自体が、凍り付いてしまったともいえます。トラウマがよく、「凍りついた記憶」と表現されるのはその所以です

 

「未完成の記憶」であったり、「凍りついた記憶」であったりすると、それはそれで永久に再生されることのないものであれば、幾分そのような「記憶」に僕たちが、悩まされることはないのですが、やはりそうはいきません。

僕たちが、生活していると、自分や世界の「断片」に、「トラウマ的な体験の記憶の断片」がこびりついていることによって、どうしても避けように避けられないものとして、その「断片」に否応なく触れてしまいます。

僕たちは、その「断片」の記憶に大きく影響され、時に記憶の全体を俯瞰する能力が失われ、様々なトラウマ的な反応で悩まされてしまいます。時には、欠けている記憶によって、自分自体がなにか欠けているように感じ、自分を見失ったり、欠けている記憶を、なんとか自分で補おうとし、事実を捻じ曲げてしまった結果、今の自分との客観的なつながりを見失ったりと…。

 

このように、僕たちの「記憶」という問題は、そもそもとても複雑で、さらに、「こころのキズ」、「トラウマ的な体験」とあいまって、様々な苦悩を生み出すこととなるのです。今日はここまで。

 

 

 【今日のおさらい】

  ● 「記憶」とは、かなり複雑なプロセスを経て完成される

  ● 「トラウマ的な体験」は記憶しているが、うまく話せない

  ● 「トラウマ的な体験」の記憶は、「凍りついた記憶」

 

 

 

 

f:id:YJcounseling:20170812233546j:plain

 

カウンセリングをご希望される方は、お気軽にご連絡ください。

☎ 0120-874-307(※対応時間:9時~21時)

✉ dahui.y@gmail.com

【相談事例】

・子どもが学校に行けない

・職場の人間関係で悩んでいる

・家族とうまくいかない

・気分が落ち込みやすい

・この先、どう生きていけばいいのかわからない etc.

【カウンセリング料金】

・30分 3000円

・50分 5000円

(※初回 90分 5000円)

【開室時間/場所】

・平日 17時 ~ 22時 / 福山市西町エフピコRiM7階 みんなのカウンセリングルーム

心理オフィスK