YJ COUNSELING OFFICE blog

福山市にある『みんなのカウンセリングルーム』の代表ブログです。

恥かしがらずに堂々とするには(前編)~「恥かしさ」とは何か~

恥かしがらずに堂々としていることは、世の中を生き抜いていく上で、とても大切な教訓のひとつであります。

 

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しかし、多くの人にとって、そのように振る舞うことが、どれだけ難しいことかは、説明しなくともわかっていただけると思います。

僕も、幼い頃から父親には、「恥かしがらずに堂々としろ!」とよく叱られたものです。父親が言っていることは頭では正しいことだとわかっていても、思うようにいきません。堂々としろと言われても、すぐに堂々とできるわけではなく(むしろ、そういわれると余計にできない)、この「恥かしさ」という圧倒的な感情の前に、あっさりと白旗を揚げ、敗北を余儀なくされる毎日でありました。

大人になった今でも、それはあまり変わっていないような気もします。何を隠そう、エラそうなことを言っていた父親自身も、兄の結婚式のスピーチを頼まれ、ガチガチに緊張してしまい、ほとんど、ペッパー君のような棒読みになっていたという滑稽な事実を目の当たりにして、「あなたこそ堂々としろよ!」と心の中でツッコミを入れたこともあり、「堂々とできる人なんて、この世にはいないのではないか」と、虚無感に襲われた次第であります。

 

 ボ ク ノ ハ ナ シ ハ サ テ オ キ …。

 

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一体、「恥かしさ」という感情は何者なのでしょう。

 

「こんな感情さえなければ、世の中をもって楽に、堂々と生きていけるのに…」と思うことは、多かれ少なかれ、皆さんにもあるのではないでしょうか。

 

「恥かしくて、声が出ない」

「恥かしくて、人前に立てない」

「恥かしくて、人とうまく関われない」

「恥かしくて、死にそうだ…」 etc.

 

一体、何の為に、このような感情が人間には宿っているのでしょうか。本当に困った話であります。

 

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心理学の世界では、どんな感情にも必ず、そこには肯定的な意味が存在し、それは、なんらかの目的を達成する為にあると言われております。

発達という側面からその感情を紐解いていくと、赤ちゃんが、「人見知り」をすることに、由来すると言われております。人見知りとは、皆さんご存知のように、大人や他者が、赤ちゃんと関わろうとしても、その赤ちゃんが、目を合わせてくれなかったり、無視したり、泣いたり、時には攻撃的に振る舞ったり、隠れようとしたりするような一連の行動のことであります。

このようなトリッキーな行動を起こさせる心理的な背景に、「恥かしさ」という原始的な感情が隠れていると言われております。赤ちゃんの人見知りには、どんな意味があり、果たしてそれは、どんな目的を達成するために存在しているのでしょうか。

大人側の視点に立ってみると、人見知りされると、わずかですが、「この子は、かわいくないな…」と思ってしまったり、「なんかまずいことしたのかな?」と自分の“無邪気さ”を顧みたり、結果として、それ以降、その赤ちゃんに、“過剰に”関わることを諦めて、節度を持って対応するようになります。つまり、この人見知りという行動は、相手からの過剰のかかわりや、“侵入”をコントロールする機能を果たしているのかもしれません。

一方、赤ちゃん側の視点に立ってみると、自分にとって敵か味方か“よくわからな奴”が、自分にかかわろうとする時、予測不可能な事態に備えて、とりあえず、自分の安全を守ることができます。人見知りすることで、自分を守れる、つまり、一次的には、人見知りに内包する、この「恥かしさ」という感情は、「他者から自分を守る為」にあるのかもしれません。また、守るだけではなく、「他者をうまくコントロールすること」にもその目的があるのかもしれません。二つの目的を組み合わせてみると、「自分を守るために、なにかをコントロールする」ということになるのかもしれません。

 

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それでは、果たして、この「恥かしさ」は、自分の“なにを”守っているのでしょうか

実は、その答えは比較的簡単で、僕たちが日常的に「恥かしさ」を感じる体験を思い起こせばわかるかと思います。皆さんは、どんな時に「恥かしさ」を感じますか? 自分の“なにを”守ろうとしていますか? 答えは、「人に見られたくない自分(部分)」「隠したい自分(部分)」を守ろうとしている、といことになろうかと思います。

人は、「人に見られたくない自分(部分)」「隠したい自分(部分)」が見られると、「恥かしい」と感じてしまいます。「人に見られたくない部分が見られたから、恥ずかしいと感じる」という心の動きは、素朴な解釈であって、実は、心理学的な見方でみると、「恥かしいと感じたから、それが、“人に見られたくない部分であった”と気付く」という理屈として理解する必要があります。つまり、「恥かしさ」という感情は、普段自分では、あまり意識することのない、「自分が人に見られたくない部分」を、改めて僕たちに教えてくれているのです

極端なことを言うと、「恥かしい」という感情がなければ、僕たちは、「自分が何を隠したいのか」「何を見られたくないのか」がよくわからなくなってしまう、ということでもあります。

わからなくなるとどんな不都合がおきるのか。「隠したい部分」や「見られたくない部分」が露呈されると、時に、それは、人から「弱み」「弱点」として、理解されたり、「攻撃材料」としてかっこうの餌食になったり、また、そのことをうまく利用されてしまい、自分自身が相手の思うようにされてしまう可能性や危険性が生じてしまいかねません。相手の思うようになってしまうことは、人間にとって、本質的に耐えがたいものであります。

これと似たようなことが、カウンセリングにおいても起こるのですが、時折、クライエントが自分自身の話(「人には恥ずかしくて言えない話」は特に)をし過ぎてしまって、なんとなく、カウンセラーのことが怖くなってしまうことがあります。「カウンセラーは、自分の弱みを知って操ろうとしているのではないか」という考えが頭から離れなくなり、カウンセリングをお休みするクライエントがいるのも事実であります。

先ほどの「恥かしさ」との関係でいうと、そう思えてしまうのも無理もありません。しかし、カウンセラーは、決して、「操ること」や「危害を加えること」はないので安心してください(尚、カウンセリングでは、なぜクライエントがそのような考えを持ってしまうのか、それをどう克服していけばいいのかという問題がテーマとなり、そのことによって、自己理解がさらに深まり、より強固な信頼関係が築いていいけるきっかけとなることがあるようです)。

 

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上記のように考えると、「恥かしい」と思う感情も、それが決してネガティブなものじゃない、自分を守ってくれる大切な味方なんだということが、なんとなくですが理解していただけたかと思います。しかし、実際に、僕たちが生活をしていると、「恥かしくて堂々とできない」という問題はなんとかして解決したいと思ってしまいます。

そのことの解決方法や、対応策については、【後編】で書いてみたいと思います。

 

「恥かしさ」も、自分を知る為の味方なんですね。

 

 

 

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