YJ COUNSELING OFFICE blog

福山市にある『みんなのカウンセリングルーム』の代表ブログです。

恥かしがらずに堂々とするには(後編)~「みんなと同じように振舞うこと」を過剰に求める社会~

前回、「恥ずかしい」という感情は一体何者なのか、というテーマについて触れてみました。一見すると、足手まといのような感情にも、そこには、ポジティブな側面があることについて、少しは理解していただけたかと思います。しかし、そうはいっても、僕たちは、「恥ずかしがらずに堂々としていたい!」という気持ちや欲望を抑えることはできません。

 

今日は、「恥ずかしい」という感情との向き合い方や、対策のヒントになるようなことについて書いてみたいと思います。

 

兎にも角にも、「恥ずかしい」という感情の肯定的な側面について、しっかりと理解することは大切なことだと思われます。そうすることで、(このことはどの感情や気持ちにも共通することですが)「恥ずかしい」という気持ちや感情と、自分との距離ができてきます。自分の気持ちや感情と距離が出てくると、それらに自分自身が圧倒されることが少なくなってきます。自分の気持ちや感情に圧倒されることが無くなってくると、人は、ある程度、状況に対して、「理性的」にふるまうことができるようになります

「理性的」とは、たとえば、コンビニで急にお腹が痛くなり、トイレに行きたいけど、店員に、「トイレを使わせて下さい!」と、恥ずかしくて言えない状況でも、「理性的」に、堂々とものが言えるようになる、といったことです。

 

f:id:YJcounseling:20171206131010j:plain

 

前回の記事でも触れたように、「恥ずかしい」という感情は、自分の「隠したい自分」や「見られたくない自分」について教えてくれます。

yjcounseling.hatenablog.com

 「恥ずかしい」という感情に、ただ、「恥ずかしくて仕方ない」と圧倒されていては、自分が何を見られたくないのか、何を隠したいのかが見えなくなります。まずは、感情に対して、肯定的に捉えることから始め、冷静に、自分を分析してみることから始めてみましょう。

そうすると、意外に、“どうでもいいこと”を自分自身が、「見られたくない」「隠したい」と考えていることに気付くことがあります。“どうでもいいこと”に気付くと、それは、“どうでもいいこと”なので、隠す必要はありません。また、そのことを理由にして、相手から弱みを握られることはありません。トイレの例で言うと、お腹が痛い、という大惨事の前で、「なにが一番得な行動なのか」を冷静に判断することができます。

 

でも、よく考えてみると、最初は、「人見知り」のように、自分にとって“どうでもよくないこと”を守るために発動していた「恥ずかしさ」という「適応的な感情」が、今になると、客観的に見ても、“どうでもいいこと”まで、「不適応に」発動してしまうのなぜなんでしょうか。なぜ、僕たちは、大人になるにつれ、過剰に自分を守るようになってしまったのでしょうか。

 

f:id:YJcounseling:20171206132002j:plain

 

実は、ここに、「恥ずかしい」という感情のもう一つの側面、機能が大きく関係してきます。

それは、「他者との違い」という側面から紐解いていく必要があります。「恥ずかしい」という感情は、他者と自分との違いについて気付かさせてくれ、「他者と同じように振舞うモチベーション」を与えてくれます。「恥ずかしさ」がなければ、みんなと同じように振舞うことができません。それは、人間が人間として、社会の中で生き抜くうえで必要なことです。

子どもの頃は、裸をみられることを、恥ずかしいとおもうことはなかったけど、大人になるにつれ、「それは恥ずかしい」と思うようになります。この、「恥ずかしさ」がなければ、僕たちは、大人になっても、近所を裸で歩き回ってしまいます。「恥ずかしさ」は社会参加への第一歩と言えます。

 

f:id:YJcounseling:20171206132241j:plain

しかし、この社会というものが実は厄介な問題で、それはとても流動的なもので、時代や状況、国や文化によって、大きくその実態がことなります。つまり、「恥ずかしさ」の水準も変わってきます。

そこで、今日的な問題に立ち返ってみると、僕たちの、「恥ずかしさ」が過剰に発動し、“どうでもいいこと”を過剰に隠そうと奔走する理由と社会が大きくかかわってきます。

それは、一言で言うと、社会の許容範囲がどんどん狭くなり、どんどん、社会が「画一的・均一的な人間」を求めすぎていることに大きく関係しています。ですので、ちょっとでも他者との違いがあらわになるようなことがあれば、僕たちはそのことを過剰に意識し、隠そうとしてしまうのかもしれません。

 

f:id:YJcounseling:20171206133621j:plain

 

ここから、導き出される、対応策のヒントは、今こそ、「他者と違っていい!」と、心の底から叫ぶことだと考えております。

 

社会にでるということは、ある程度、「他者と同じように振舞うこと」が求められます。しかし、それは、意識的に、必死になって社会性を身につけようとせずとも、ある程度、僕たちの感情が勝手に、“適応的に”作動しながら、なにかを恥ずかしながら、勝手に身についていくものです。

必要以上に自分に言い聞かせたり、厳しくけたり、一生懸命で考えなくとも、「感情に任せれば」うまくいきます。しかし、感情ではなく、頭でっかちに、「社会に適応しなきゃ」「他者と一緒でなきゃ」と思うと、時折、感情がバグを起こしてしまい、結果的に、“どうでもいいこと”まで、恥ずかしく仕方なくなってしまいます。感情は常に「答」を知っていることが多いですが、理性は時折、「真実」を歪める傾向にあります。ですので、勇気をもって、「他者との違い」を積極的に主張することが大切なような気がします。まわりや人との違いを、まずは自分自身がしっかり認められようにふるまうことから始め、また、「自分とまわりと違う人」も、積極的に認めていくことを心掛けてみましょう。そうすることで、僕たちは、過剰に働く、「恥ずかしさ」を克服し、堂々と生きて行けるのではないでしょうか。

 

f:id:YJcounseling:20171206134920j:plain

 

 

「みんな違っていい!」

 

当たり前のような結論ですが、堂々としていくために最も大切なヒントであります。

 

コンビニでトレイに行く人もいれば、行かない人もいます。

学校に行きたい人もいれば、行きたくない人もいます。

声が低い人もいれば、高い人もいます。

肌の色が黒い人もいれば、白い人もいます。

空気を読む人もいれば、空気を読めない人もいます。

異性を好きな人もいれば、同性を好きな人もいます。

 

 

「違い」は決して恥ずかしいことではありません!

 

みんな違って当然なのです。

 

 

 

 

f:id:YJcounseling:20170812233546j:plain


 カウンセリングをご希望される方は、お気軽にご連絡ください。

☎ 0120-874-307(※対応時間:9時~21時)

✉ dahui.y@gmail.com

【相談事例】

・子どもが学校に行けない

・職場の人間関係で悩んでいる

・家族とうまくいかない

・気分が落ち込みやすい

・この先、どう生きていけばいいのかわからない etc.

【カウンセリング料金】

・30分 3000円

・50分 5000円

(※初回 90分 5000円)

【開室時間/場所】

・平日 17時 ~ 22時 / 福山市西町エフピコRiM7階 みんなのカウンセリングルーム