YJ COUNSELING OFFICE blog

福山市にある『みんなのカウンセリングルーム』の代表ブログです。

トラウマとは何か(1)~理解することの難しさ~

トラウマという難しい問題について書いてみたいと思いますしかし、とても、難しい問題なので何回にわけて書いてみます。悪しからず…。

 

トラウマという言葉は、心理学、特に臨床心理学、カウンセリングの領域では、大変よく用いられる言葉で、少し難しい日本語で言うと、「心的外傷」という言葉で訳されものです。普段、皆さんが日常的に用いる言葉としては、「こころのキズ」「キズついたこころ」という言葉が、それにあたるのかなと思いますので、ここでは、「こころのキズ」という言葉を使いたいと思います。

 

「こころのキズ」を理解する事はとても難しいです。

 

なぜなら、それは、「膝の擦り傷」と違って、僕たちの目に見えない、ということと関係します。目に見えないから、当然、自分以外のひとから、「君、膝から血が出ているよ」などといって、その傷を指摘されることがなく、場合によっては、「どこが傷ついているのか、自分にもわからない」といったことがよくあります。

でも、よく考えると、このことは、「こころ」というもの自体が、そもそも、目で確認することがむずかしく、捉えどころのない、僕たちのイメージのようなものなので、「こころのキズ」もやはりそうなのかなと、思うしかないのかもしれません。

f:id:YJcounseling:20171104114549j:plain

 

このことから、人によっては、

「それは、妄想だ」

「トラウマという言葉を使って、逃げているだけだ」と、

心ないことをおっしゃる方もいますし、実は、カウンセラーの間でも、トラウマや、「こころのキズ」といった言葉を使うことに、抵抗感を示す方もいたりします(※単なる好き嫌いの話ではなく、学術的且つ援助論としての見解として)

「こころのキズ」の存在を否定しないにしても、人間の心というものをどのような形で捉えるかという立場によって、その意見が大きくわかれたりもします。しかし、

 

「こころのキズ」は確かにあります。

 

それは、日々のカウンセリング現場の中で、強く感じているところです。

クライエントの抱える主訴の中には、多かれ少なかれ、「こころのキズ」が影響していることがあり、「こころのキズ」を軸としたクライエントの語りから、そのことの影響からくるクライエントの苦悩が、ひしひしと伝えわってきます。

そういう現場感覚からすると、カウンセラーとしては、「こころのキズ」の有無を問うより、「なんとかこのキズを一緒に治していきたい」、治せなくとも、「この傷とどう向き合っていけばいいのか一緒に考えたい」と思うのは、自然なような気がします。

それが、たとえ、事実とは異なる人間が作り出した幻想だったとしても、その幻想は、僕たちの生活に暗い影を落とし、時に僕たちを苦しめてしまうことは、まぎれもない事実であることから、カウンセラーとしては、その事実から、目を背けることは決してありません。また、その幻想の意味を、今後の人生に役立てる意味として捉えなおす作業に、手を惜しむことはありません。

f:id:YJcounseling:20171104115143j:plain

 

さて、「こころのキズ」に対するMCRなりの見解はさておき、とはいいつつも、「こころのキズ」をどうやって治すのか、また、どうやって向き合うのか、という問題はとても難しい問題だと思います。

 

「こころのキズ」とは一体何なんでしょうか。

 

人は、どんな時に「こころのキズ」を体験しているのでしょうか。

一般的には、自分自身の心身の安全が、大きく脅かされる時の、心理的なショックによるものと言われております。場合によっては、自分自身だけではなく、他者のそのような場面を見た場合でも起こったりもします。

わかりやすい例でいうと、自然災害とか、交通事故とかがそうです。

しかし、ここで、大切なのは、心身という言葉で表現されるように、「心」という問題も含まれるということです。例えば、「自分」という心の存在が脅かされたりすることもそうです。誰かにひどく攻撃された時なんかそうですが、それは、当然、「身の安全」という問題も関係しますが、「自分という存在の安全」が脅かされ、「自分じゃなくなる」といったショックで、「こころのキズ」がついたりもします。

一番、わかりやすい例が、いじめで、いじめられた子は、身体的苦痛以上に、自分の存在を否定されることによる精神的苦痛によって、心が大きく傷ついたりします。

 

f:id:YJcounseling:20171104115530j:plain

 

しかし、「こころのキズ」を理解するひとつの難しさは、先に触れた、自然災害、交通事故、いじめなど、客観的に見て、「大きな出来事」だけで生じるのではなく、客観的には、「小さな出来事」であったとしても、主観的に、「大きな出来事」としてショックを受ける場合も「こころのキズ」になることがあるということです。逆に言うと、客観的には、「大きな出来事」だったとしても、「こころのキズ」にならない人も当たり前のようにいるということです。

ですので、客観的に、その出来事が「大きいか小さいか」という問題で、傷つき具合を判断したり、場合によって、「そんなことで傷つくな」と意見することは、あまり意味のないことでもあります。また、前の説明であえて使わせてもらった、「大きな出来事」、「小さな出来事」という使い分け自体が、当事者の「こころのキズ」に塩を塗り、理解されない2重の苦しみを生じさせてしまうことから、あまり、用いたくない言葉でもあります(※話を分かりやすいようにするために、あえて、使いましたことをご了承ください)。

 

とにかく、どんな出来事であろうが、「とある出来事」が、自分の命や心の安全を脅かす出来事として当事者に捉えられ、そこに大きなショックがあると、「こころのキズ」になるということを理解することは大切なことです。

 

今日は、ここまでの説明にして、次回は、「こころのキズ」が生じたとき、人はどうなってしまうのかについて説明したいと思います。よろしくお願いします。

 

 【おさらい:理解するポイントと難しさ】

 ① 目に見えない難しさ

 ② 客観的な「大小」が問題になるのではない

 

 

 

f:id:YJcounseling:20170812233546j:plain

 

カウンセリングをご希望される方は、お気軽にご連絡ください。

☎ 0120-874-307(※対応時間:9時~21時)

✉ dahui.y@gmail.com

【相談事例】

・子どもが学校に行けない

・職場の人間関係で悩んでいる

・家族とうまくいかない

・気分が落ち込みやすい

・この先、どう生きていけばいいのかわからない etc.

【カウンセリング料金】

・30分 3000円

・50分 5000円

(※初回 90分 5000円)

【開室時間/場所】

・平日 17時 ~ 22時 / 福山市西町エフピコRiM7階 みんなのカウンセリングルーム

心理オフィスK