「カウンセラーの優しさ」で、大切なこと
今日は、「カウンセラーの優しさ」について書いてみたいと思います。
皆さんは、「優しい人」と「優しくない人」とでは、どちらが好みのタイプですか?どちらかを選べと言われれば、おそらく大半の方は「優しい人」を好むのではないかと思います(もちろん、いろんな理由から「優しくない人」を選ぶ人もいるでしょう)。
カウンセリングにおいてもクライエントは、カウンセラーに対して、ある程度の「優しさ」を求めるものではないかと思います。なにせ、基本的に、「優しくないカウンセラー」というものを想定することは、なかなか難しいような気もします。
もちろん、カウンセリングの経過中、クライエントにとって「厳しい要求」をカウンセラーが提案することもあります。また、時には、カウンセリングの信頼関係が損なわれる可能性のあるクライエントの「無謀な要求」に対して、カウンセラーが倫理的に、且つ、原則的に対応することで、「カウンセラーは優しくない」「今日の先生は厳しいな」と、クライエントの目にうつることもあるかと思います。
しかし、そのようなことは、やはり稀なことで、素朴な理解としては、カウンセラーは基本的には「優しい人」であり、カウンセラー自身も「そうありたい」と素朴には思っているはずです。
さて、ここで問題なのが、それでは、カウンセラーにとっての「優しさ」とは何かという問題であります。一般的な意味において「優しさ」には、実にいろんな「優しさ」があり、その考え方や、表現の仕方によって、世の中には実に様々な「優しさ」の形が存在します。例えば、幼い子が、お菓子が食べたいと泣きじゃくっている時に、そっとお菓子をあげるのも、「優しさ」でもありますし、「甘やかすのは本人の為にならない」と厳しく接するのも、「優しさ」なのかもしれません。同じ振る舞い方をしたとしても、その出来事の前後の文脈や状況によって、その「優しさ」の意味がずいぶん変わってくることもあります。
カウンセリングにおいても似たようなことがあって、クライエントの思いに共感し、励ましの言葉をかけてあげる「優しさ」もあれば、そこはあえて、言葉をそえず、クライエントの内省の深め、しんどさに一人で耐えることを見守り、一人で立ち上がってもらうことを期待するような「優しさ」もあったりします。また、カウンセラーが同じ言葉をそえたとしても、クライエントの置かれている状況によっては、「優しさ」の意味も変わってきます。これは、実に難しい問題でもあります。
しかし、そのようないろんな「優しさ」の形がある中でも、割とどんな文脈においても一貫して、僕自身がカウンセラーとして大事にしている「優しさ」があります。
それは、「想像力という優しさ」であります。
想像力は想像力じゃないかと思う方もいるかと思いますが、特に、カウンセリングにおいては、カウンセラーの想像力は「優しさ」を構成する大切な要素のような気がします。それは、クライエントが初めてカウンセリング来られた瞬間から、想像力は大切な役割を果たしてくれます。
「クライエントはどんな思いでカウンセリングルームに来られたのだろう?」「きっと、ここまでたどり着くにはいろんな苦労があっただろうな」等、カウンセリングルームの扉を叩くまで、どんなことがあったのかいろいろ想像してみることは大切なことであります。カウンセラーが、カウンセリングの開始時に、よく、「ここまではどのようして来られたんですか?」とお聞きすることは、端的にそのことを物語っております。クライエントの交通手段に始まり、移動中にどんなことを考えたのか、渋滞してイライラしなかったか、その間にいろんな思いにもなっただろうなと、あれこれ想像するから始まります。
クライエントは、最初から多くを語ることはありませんし、カウンセリングが進んできてもクライエントの語りはクライエントの生活の一部に過ぎません。「大丈夫です!」といっても、本当は大丈夫じゃないこともあるでしょうし、「元気そうに」振舞っていても、強がっている場合もあります。カウンセラーが目の前のクライエントの表出する事柄だけを踏まえて、あれやこれは拙速に判断するのは、基本的には間違っていることでもあります。また、クライエントが、生活の中で何らかの過ちをおかし、そのことで自分を責めることがあったとしても、カウンセラーが、クライエントの行動を杓子定規な善悪の基準で判断することは間違っております。「そこに至るまでどんなことがあって、どんな事情があったのだろうか?」とクライエントの置かれている生活の状況や、背景に対して、色々な思いをはせて、想像してみることは大切なことであります。
決して、カウンセラーは、自分が想像したことを、「それは、こうなのですか?」と事実を確認をしたり、カウンセラーがクライエント理解の為に作り上げたある種の物語に当てはめることはありません。それは、ただただ想像するだけです。
カウンセラーの想像力は時に間違っているのかもしれませんし、想像した事実は、クライエントの現実と異なるのかもしれません。しかし、「ああでもないこうでもない」と色々想像力を膨らまして、クライエント理解の「余白」を残すことで、クライエントはどことなく、カウンセラーに安心感を抱いたり、その中で、自由に自らを表現し、振舞えたりすることで、そのことを、「カウンセラーの優しさ」として感じてもらえるのではないかと思います。
僕は、山田洋二監督の「男はつらいよ」という映画作品が大好きなのですが、その映画シリーズの中で、主人公の寅さんが、長旅から帰ってきた人(マドンナ)を、家で出迎える前に、(正確なセリフではないのでニュアンスだけでご了承ください)「遠い離れた地から、長い旅をしてきた人だから、いろんな事情があっただろうな」と思いをはせ、周りの家族に、根掘り葉掘りいろいろ聞くのは野暮だよと、注意するシーンがあったことを記憶しております。その寅さんの「想像力という優しさ」に感銘を受け、胸を激しく打たれたことを今でも覚えております。きっと、寅さんのようなカウンセラーがいたら、クライエントはいろんな意味で迷惑、苦労するとは思いますが、寅さんが持つ「想像力という優しさ」に、何人ものマドンナ達や、映画ファンの心が救われたのは確かだと思います。
まだまだ、僕自身、「想像力の乏しさ」によって、クライエントにとって、まだまだ、「優しが足りない人」なのかもしれませんが、これからの臨床活動において、「想像力」を大切にしていきたいと考えております。
皆さんも、人と接する時、目の前の行動だけに着目するのではなく、そのように行動に至ってしまった経緯や背景、その人の置かれている状況や事情に思いをはせ、「想像力」を働かせてみると、ほんの少しですが、目の前の人に、優しく接してあげれるかもしれません。
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