YJ COUNSELING OFFICE blog

福山市にある『みんなのカウンセリングルーム』の代表ブログです。

MCRから贈る、クリスマスソング

町中のいたるところから、クリスマスソングが聞こえてきます。

 

クリスマスソングをいろんなところで聴くと、なんとなくですが、気持ちが少し前向きになれたり、「ハッピー」な気持ちになります。今日のブログでは、そんなクリスマスの時期にあやかって、僕が個人的に大好きな「クリスマスソング」のひとつを皆さんにご紹介(プレゼント)したいと思います!

 

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紹介する歌は、所謂、ハッピーになれるようなクリスマスソングではなく、一風変わったクリスマスソングであります。もしかしたら、この曲を制作したミュージシャンはこの歌をクリスマスソングとして作ってはいないとは思いますが…。

 

その曲は、

 

大好きなキリンジ「千年紀末に降る雪は」という歌です。

 

ユーチューブにちょうどいいライブ動画がありましたので、そちらをまずはご視聴ください。”暗い”ですが、とても素晴らしい曲だと思います。

 

www.youtube.com

 

皆さん、いかがでしたか。キリンジは大好きなミュージシャンなのですが、この曲は特に大好きです。

 

サンタクロースをここまで、「孤独な存在」として描いた曲はないのかなと思います。しかも、歌詞をみればわかるように、これは、トナカイの視点で、歌われていることがなんとなく理解できます。キリンジの詩はとても面白いですね。

でも、「華やかな世界を彩る主人公」の影や、「みんなを喜ばせている存在」の裏側に視点の重きがあることで、クリスマスを手放しで喜び、「ハッピー」な気分で過ごすことができず、苦しい日々を過ごしている人達の為の、賛歌のように聴こえてきます。

 

クリスマスだけど、いつも通りしんどい仕事に出かける人、クリスマスだけど、いつものように不安を抱え、外出することに勇気がいる人、クリスマスだけど、なんとなくさみしさや、悲しさを感じている人、また、生きづらさを感じている人…etc、そんな「みんな」に、キリンジの歌が届いてくれればいいと思っています。MCRは、これからも「みんな」のトナカイとして、頑張ってまいりたいと思います。

 

少し早いですが、メリークリスマス…

 

真っ赤なヒイラギの実をひとつ、さぁ、どうぞ…(^.^)。

 

 

 

 

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 カウンセリングをご希望される方は、お気軽にご連絡ください。

☎ 0120-874-307(※対応時間:9時~21時)

✉ dahui.y@gmail.com

【相談事例】

・子どもが学校に行けない

・職場の人間関係で悩んでいる

・家族とうまくいかない

・気分が落ち込みやすい

・この先、どう生きていけばいいのかわからない etc.

【カウンセリング料金】

・30分 3000円

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(※初回 90分 5000円)

【開室時間/場所】

・平日 17時 ~ 22時 / 福山市西町エフピコRiM7階 みんなのカウンセリングルーム

 

MCR開設して、5か月経ちました!

MCRを開設して、5か月がたちました。本当にあっという間の5か月でした。

 

何十年もカウンセリングルームを運営されている先輩方からすると、5か月なんて、ほんの一瞬の歳月かもしれません。しかし、とりあえず、5か月間、カウンセリングルームを運営できたことに喜びを感じているところであります。赤ちゃんで例えると(個人差はありますが)、首が据わり、寝返りできたり、身体を少し自由に動かすことができるようになり、好奇心が出てきて、そろそろ離乳食も食べだす時期でしょうか…。

 

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カウンセリング自体は、臨床心理士として働き出したその日から、現在まで、いろんなところで行ってまいりましたが、自らのカウンセリングルームを開設してカウンセリングを行うなると、開設当初は、いろんな不安はありました。カウンセリングを通じて、クライエントのお役にたてれるかどうか、自信がなかったわけではありませんが、「一人で行う」となると、何事もなんとなくですが、「心細いものだな」と、改めて感じた次第であります。しかし、そんな中でも、「福山で臨床心理士が運営するカウンセリングルームがあるなんて知らなかった」、「こんなカウンセリングルームがあったらいいと思っていた」「通いやすい」等、多方面からいろんな方に励ましのお言葉を頂きながら、また、いろんな先生方に支えられながら、5か月を過ごすことができました。

 

特に、エフピコRiMや、ものづくり交流館のスタッフの方、また、開設のきっかけを作ってくださった、ふくやま地域若者サポートステーショの先生方には、感謝しております。

fukuyama-sapo.org

 

 

先にも、触れましたが、何事も「一人で行う」のは、「心細いもの」です。

 

MCRを開設して、この5か月の間に、たくさんのクライエントと知り合うことができました。クライエントの皆様は、カウンセリングルームの扉をあけるその時まで、深刻な悩みを一人で抱てしまい、その悩みを誰にも打ち明けることができず、人知れず、「心細さ」と戦ってこられたのかなと、考えております。カウンセリングによって、現実の「心細さ」がすぐに解消されるわけではありませんが、「心細さと戦う心細さ」を解消することには、少しはお役に立てているのではないかと考えております。

また、MCR自体が抱える「心細さ」も、クライエントの戦う姿によって随分支えられたなと思う今日この頃であります。

 

これからも、より多くの、「みんな」のお役に立てれるように、気を引き締めて頑張ってまいりたいと思います。

 

ひとりは気楽であるが、心細い…

 

MCRの「心細さ」との闘いは、常に「みんな」と共にあります。

 

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「カウンセラーの優しさ」で、大切なこと

今日は、「カウンセラーの優しさ」について書いてみたいと思います。

 

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皆さんは、「優しい人」と「優しくない人」とでは、どちらが好みのタイプですか?どちらかを選べと言われれば、おそらく大半の方は「優しい人」を好むのではないかと思います(もちろん、いろんな理由から「優しくない人」を選ぶ人もいるでしょう)。

 

カウンセリングにおいてもクライエントは、カウンセラーに対して、ある程度の「優しさ」を求めるものではないかと思います。なにせ、基本的に、「優しくないカウンセラー」というものを想定することは、なかなか難しいような気もします。

もちろん、カウンセリングの経過中、クライエントにとって「厳しい要求」をカウンセラーが提案することもあります。また、時には、カウンセリングの信頼関係が損なわれる可能性のあるクライエントの「無謀な要求」に対して、カウンセラーが倫理的に、且つ、原則的に対応することで、「カウンセラーは優しくない」「今日の先生は厳しいな」と、クライエントの目にうつることもあるかと思います。

しかし、そのようなことは、やはり稀なことで、素朴な理解としては、カウンセラーは基本的には「優しい人」であり、カウンセラー自身も「そうありたい」と素朴には思っているはずです。

 

さて、ここで問題なのが、それでは、カウンセラーにとっての「優しさ」とは何かという問題であります。一般的な意味において「優しさ」には、実にいろんな「優しさ」があり、その考え方や、表現の仕方によって、世の中には実に様々な「優しさ」の形が存在します。例えば、幼い子が、お菓子が食べたいと泣きじゃくっている時に、そっとお菓子をあげるのも、「優しさ」でもありますし、「甘やかすのは本人の為にならない」と厳しく接するのも、「優しさ」なのかもしれません。同じ振る舞い方をしたとしても、その出来事の前後の文脈や状況によって、その「優しさ」の意味がずいぶん変わってくることもあります。

カウンセリングにおいても似たようなことがあって、クライエントの思いに共感し、励ましの言葉をかけてあげる「優しさ」もあれば、そこはあえて、言葉をそえず、クライエントの内省の深め、しんどさに一人で耐えることを見守り、一人で立ち上がってもらうことを期待するような「優しさ」もあったりします。また、カウンセラーが同じ言葉をそえたとしても、クライエントの置かれている状況によっては、「優しさ」の意味も変わってきます。これは、実に難しい問題でもあります。

 

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しかし、そのようないろんな「優しさ」の形がある中でも、割とどんな文脈においても一貫して、僕自身がカウンセラーとして大事にしている「優しさ」があります。

 

それは、「想像力という優しさ」であります。

 

想像力は想像力じゃないかと思う方もいるかと思いますが、特に、カウンセリングにおいては、カウンセラーの想像力は「優しさ」を構成する大切な要素のような気がします。それは、クライエントが初めてカウンセリング来られた瞬間から、想像力は大切な役割を果たしてくれます。

「クライエントはどんな思いでカウンセリングルームに来られたのだろう?」「きっと、ここまでたどり着くにはいろんな苦労があっただろうな」等、カウンセリングルームの扉を叩くまで、どんなことがあったのかいろいろ想像してみることは大切なことであります。カウンセラーが、カウンセリングの開始時に、よく、「ここまではどのようして来られたんですか?」とお聞きすることは、端的にそのことを物語っております。クライエントの交通手段に始まり、移動中にどんなことを考えたのか、渋滞してイライラしなかったか、その間にいろんな思いにもなっただろうなと、あれこれ想像するから始まります。

クライエントは、最初から多くを語ることはありませんし、カウンセリングが進んできてもクライエントの語りはクライエントの生活の一部に過ぎません。「大丈夫です!」といっても、本当は大丈夫じゃないこともあるでしょうし、「元気そうに」振舞っていても、強がっている場合もあります。カウンセラーが目の前のクライエントの表出する事柄だけを踏まえて、あれやこれは拙速に判断するのは、基本的には間違っていることでもあります。また、クライエントが、生活の中で何らかの過ちをおかし、そのことで自分を責めることがあったとしても、カウンセラーが、クライエントの行動を杓子定規な善悪の基準で判断することは間違っております。「そこに至るまでどんなことがあって、どんな事情があったのだろうか?」とクライエントの置かれている生活の状況や、背景に対して、色々な思いをはせて、想像してみることは大切なことであります。

決して、カウンセラーは、自分が想像したことを、「それは、こうなのですか?」と事実を確認をしたり、カウンセラーがクライエント理解の為に作り上げたある種の物語に当てはめることはありません。それは、ただただ想像するだけです。

カウンセラーの想像力は時に間違っているのかもしれませんし、想像した事実は、クライエントの現実と異なるのかもしれません。しかし、「ああでもないこうでもない」と色々想像力を膨らまして、クライエント理解の「余白」を残すことで、クライエントはどことなく、カウンセラーに安心感を抱いたり、その中で、自由に自らを表現し、振舞えたりすることで、そのことを、「カウンセラーの優しさ」として感じてもらえるのではないかと思います。

  

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僕は、山田洋二監督の男はつらいよという映画作品が大好きなのですが、その映画シリーズの中で、主人公の寅さんが、長旅から帰ってきた人(マドンナ)を、家で出迎える前に、(正確なセリフではないのでニュアンスだけでご了承ください)「遠い離れた地から、長い旅をしてきた人だから、いろんな事情があっただろうな」と思いをはせ、周りの家族に、根掘り葉掘りいろいろ聞くのは野暮だよと、注意するシーンがあったことを記憶しております。その寅さんの「想像力という優しさ」に感銘を受け、胸を激しく打たれたことを今でも覚えております。きっと、寅さんのようなカウンセラーがいたら、クライエントはいろんな意味で迷惑、苦労するとは思いますが、寅さんが持つ「想像力という優しさ」に、何人ものマドンナ達や、映画ファンの心が救われたのは確かだと思います。

 

 まだまだ、僕自身、「想像力の乏しさ」によって、クライエントにとって、まだまだ、「優しが足りない人」なのかもしれませんが、これからの臨床活動において、「想像力」を大切にしていきたいと考えております。

 

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皆さんも、人と接する時、目の前の行動だけに着目するのではなく、そのように行動に至ってしまった経緯や背景、その人の置かれている状況や事情に思いをはせ、「想像力」を働かせてみると、ほんの少しですが、目の前の人に、優しく接してあげれるかもしれません。

 

 

 

 

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第43回心理リハビリテーションの会全国大会、終了

12月9日~10日にかけて開催された、心理リハビリテーションの会全国大会に参加してまいりました。今年は、岡山市で開催されたので、参加しやすかったです。

第43回 心理リハビリテイションの会全国大会(岡山大会) - 2017 心リハ岡山大会

 

残念ながら、8日に開催された心理リハビリテーション学会学術大会には参加できませんでしたが、学びの多い2日間でした。この回の特徴としては、トレーニーといって、実際に、動作法などの訓練を受けた、心身にハンデキャップを抱える方達(肢体不自由者等)も、一緒に参加しているところで、当事者と援助者が同じ目線になって色んな議論をかわせるところであります(※カウンセリングでいうところのクライエント)。大会2日目には、2名のトレーニーの体験発表の時間もあり、とても勉強になりました。

 

今大会の、テーマは、「こころとからだのやり取りを見つめなおす」とあって、単に、動作法を通じて、からだが動かせるようになったという話だけでなく、そもそも、動作法というものが、からだを動かすことで、何を意図しているのか、といった、基本的な議論を深めるような形となっておりました。

 

動作法は、普段は、あまり意識することない「からだ」を、「動かす」

という側面からのアプローチを通じて、こころのあらゆる側面に対しての気づきを促し、自分の感情や思考、在り方などについて考えるきっかけを与えてくれいます。

 

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カウンセリングは基本的に、ことばを介して行われますが、クライエントの、からだの動きや、違和感などに着目してくことも大切であることから、今後の臨床活動に色々と応用ができるアイデアが、浮かんできました。

 

「ゆっくりと手を挙げて、おろしてみてください…」

 

こんな、何気ない動作の中に、ほんと、いろんな「自分」があることに気づかされ、とても考えさせられます。しばらくは、動作法の勉強にハマりそうであります。

 

来年は、高知県であるそうですが、また、是非参加してみたいと思います。

 

 

 

 

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恥かしがらずに堂々とするには(後編)~「みんなと同じように振舞うこと」を過剰に求める社会~

前回、「恥ずかしい」という感情は一体何者なのか、というテーマについて触れてみました。一見すると、足手まといのような感情にも、そこには、ポジティブな側面があることについて、少しは理解していただけたかと思います。しかし、そうはいっても、僕たちは、「恥ずかしがらずに堂々としていたい!」という気持ちや欲望を抑えることはできません。

 

今日は、「恥ずかしい」という感情との向き合い方や、対策のヒントになるようなことについて書いてみたいと思います。

 

兎にも角にも、「恥ずかしい」という感情の肯定的な側面について、しっかりと理解することは大切なことだと思われます。そうすることで、(このことはどの感情や気持ちにも共通することですが)「恥ずかしい」という気持ちや感情と、自分との距離ができてきます。自分の気持ちや感情と距離が出てくると、それらに自分自身が圧倒されることが少なくなってきます。自分の気持ちや感情に圧倒されることが無くなってくると、人は、ある程度、状況に対して、「理性的」にふるまうことができるようになります

「理性的」とは、たとえば、コンビニで急にお腹が痛くなり、トイレに行きたいけど、店員に、「トイレを使わせて下さい!」と、恥ずかしくて言えない状況でも、「理性的」に、堂々とものが言えるようになる、といったことです。

 

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前回の記事でも触れたように、「恥ずかしい」という感情は、自分の「隠したい自分」や「見られたくない自分」について教えてくれます。

yjcounseling.hatenablog.com

 「恥ずかしい」という感情に、ただ、「恥ずかしくて仕方ない」と圧倒されていては、自分が何を見られたくないのか、何を隠したいのかが見えなくなります。まずは、感情に対して、肯定的に捉えることから始め、冷静に、自分を分析してみることから始めてみましょう。

そうすると、意外に、“どうでもいいこと”を自分自身が、「見られたくない」「隠したい」と考えていることに気付くことがあります。“どうでもいいこと”に気付くと、それは、“どうでもいいこと”なので、隠す必要はありません。また、そのことを理由にして、相手から弱みを握られることはありません。トイレの例で言うと、お腹が痛い、という大惨事の前で、「なにが一番得な行動なのか」を冷静に判断することができます。

 

でも、よく考えてみると、最初は、「人見知り」のように、自分にとって“どうでもよくないこと”を守るために発動していた「恥ずかしさ」という「適応的な感情」が、今になると、客観的に見ても、“どうでもいいこと”まで、「不適応に」発動してしまうのなぜなんでしょうか。なぜ、僕たちは、大人になるにつれ、過剰に自分を守るようになってしまったのでしょうか。

 

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実は、ここに、「恥ずかしい」という感情のもう一つの側面、機能が大きく関係してきます。

それは、「他者との違い」という側面から紐解いていく必要があります。「恥ずかしい」という感情は、他者と自分との違いについて気付かさせてくれ、「他者と同じように振舞うモチベーション」を与えてくれます。「恥ずかしさ」がなければ、みんなと同じように振舞うことができません。それは、人間が人間として、社会の中で生き抜くうえで必要なことです。

子どもの頃は、裸をみられることを、恥ずかしいとおもうことはなかったけど、大人になるにつれ、「それは恥ずかしい」と思うようになります。この、「恥ずかしさ」がなければ、僕たちは、大人になっても、近所を裸で歩き回ってしまいます。「恥ずかしさ」は社会参加への第一歩と言えます。

 

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しかし、この社会というものが実は厄介な問題で、それはとても流動的なもので、時代や状況、国や文化によって、大きくその実態がことなります。つまり、「恥ずかしさ」の水準も変わってきます。

そこで、今日的な問題に立ち返ってみると、僕たちの、「恥ずかしさ」が過剰に発動し、“どうでもいいこと”を過剰に隠そうと奔走する理由と社会が大きくかかわってきます。

それは、一言で言うと、社会の許容範囲がどんどん狭くなり、どんどん、社会が「画一的・均一的な人間」を求めすぎていることに大きく関係しています。ですので、ちょっとでも他者との違いがあらわになるようなことがあれば、僕たちはそのことを過剰に意識し、隠そうとしてしまうのかもしれません。

 

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ここから、導き出される、対応策のヒントは、今こそ、「他者と違っていい!」と、心の底から叫ぶことだと考えております。

 

社会にでるということは、ある程度、「他者と同じように振舞うこと」が求められます。しかし、それは、意識的に、必死になって社会性を身につけようとせずとも、ある程度、僕たちの感情が勝手に、“適応的に”作動しながら、なにかを恥ずかしながら、勝手に身についていくものです。

必要以上に自分に言い聞かせたり、厳しくけたり、一生懸命で考えなくとも、「感情に任せれば」うまくいきます。しかし、感情ではなく、頭でっかちに、「社会に適応しなきゃ」「他者と一緒でなきゃ」と思うと、時折、感情がバグを起こしてしまい、結果的に、“どうでもいいこと”まで、恥ずかしく仕方なくなってしまいます。感情は常に「答」を知っていることが多いですが、理性は時折、「真実」を歪める傾向にあります。ですので、勇気をもって、「他者との違い」を積極的に主張することが大切なような気がします。まわりや人との違いを、まずは自分自身がしっかり認められようにふるまうことから始め、また、「自分とまわりと違う人」も、積極的に認めていくことを心掛けてみましょう。そうすることで、僕たちは、過剰に働く、「恥ずかしさ」を克服し、堂々と生きて行けるのではないでしょうか。

 

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「みんな違っていい!」

 

当たり前のような結論ですが、堂々としていくために最も大切なヒントであります。

 

コンビニでトレイに行く人もいれば、行かない人もいます。

学校に行きたい人もいれば、行きたくない人もいます。

声が低い人もいれば、高い人もいます。

肌の色が黒い人もいれば、白い人もいます。

空気を読む人もいれば、空気を読めない人もいます。

異性を好きな人もいれば、同性を好きな人もいます。

 

 

「違い」は決して恥ずかしいことではありません!

 

みんな違って当然なのです。

 

 

 

 

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恥かしがらずに堂々とするには(前編)~「恥かしさ」とは何か~

恥かしがらずに堂々としていることは、世の中を生き抜いていく上で、とても大切な教訓のひとつであります。

 

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しかし、多くの人にとって、そのように振る舞うことが、どれだけ難しいことかは、説明しなくともわかっていただけると思います。

僕も、幼い頃から父親には、「恥かしがらずに堂々としろ!」とよく叱られたものです。父親が言っていることは頭では正しいことだとわかっていても、思うようにいきません。堂々としろと言われても、すぐに堂々とできるわけではなく(むしろ、そういわれると余計にできない)、この「恥かしさ」という圧倒的な感情の前に、あっさりと白旗を揚げ、敗北を余儀なくされる毎日でありました。

大人になった今でも、それはあまり変わっていないような気もします。何を隠そう、エラそうなことを言っていた父親自身も、兄の結婚式のスピーチを頼まれ、ガチガチに緊張してしまい、ほとんど、ペッパー君のような棒読みになっていたという滑稽な事実を目の当たりにして、「あなたこそ堂々としろよ!」と心の中でツッコミを入れたこともあり、「堂々とできる人なんて、この世にはいないのではないか」と、虚無感に襲われた次第であります。

 

 ボ ク ノ ハ ナ シ ハ サ テ オ キ …。

 

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一体、「恥かしさ」という感情は何者なのでしょう。

 

「こんな感情さえなければ、世の中をもって楽に、堂々と生きていけるのに…」と思うことは、多かれ少なかれ、皆さんにもあるのではないでしょうか。

 

「恥かしくて、声が出ない」

「恥かしくて、人前に立てない」

「恥かしくて、人とうまく関われない」

「恥かしくて、死にそうだ…」 etc.

 

一体、何の為に、このような感情が人間には宿っているのでしょうか。本当に困った話であります。

 

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心理学の世界では、どんな感情にも必ず、そこには肯定的な意味が存在し、それは、なんらかの目的を達成する為にあると言われております。

発達という側面からその感情を紐解いていくと、赤ちゃんが、「人見知り」をすることに、由来すると言われております。人見知りとは、皆さんご存知のように、大人や他者が、赤ちゃんと関わろうとしても、その赤ちゃんが、目を合わせてくれなかったり、無視したり、泣いたり、時には攻撃的に振る舞ったり、隠れようとしたりするような一連の行動のことであります。

このようなトリッキーな行動を起こさせる心理的な背景に、「恥かしさ」という原始的な感情が隠れていると言われております。赤ちゃんの人見知りには、どんな意味があり、果たしてそれは、どんな目的を達成するために存在しているのでしょうか。

大人側の視点に立ってみると、人見知りされると、わずかですが、「この子は、かわいくないな…」と思ってしまったり、「なんかまずいことしたのかな?」と自分の“無邪気さ”を顧みたり、結果として、それ以降、その赤ちゃんに、“過剰に”関わることを諦めて、節度を持って対応するようになります。つまり、この人見知りという行動は、相手からの過剰のかかわりや、“侵入”をコントロールする機能を果たしているのかもしれません。

一方、赤ちゃん側の視点に立ってみると、自分にとって敵か味方か“よくわからな奴”が、自分にかかわろうとする時、予測不可能な事態に備えて、とりあえず、自分の安全を守ることができます。人見知りすることで、自分を守れる、つまり、一次的には、人見知りに内包する、この「恥かしさ」という感情は、「他者から自分を守る為」にあるのかもしれません。また、守るだけではなく、「他者をうまくコントロールすること」にもその目的があるのかもしれません。二つの目的を組み合わせてみると、「自分を守るために、なにかをコントロールする」ということになるのかもしれません。

 

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それでは、果たして、この「恥かしさ」は、自分の“なにを”守っているのでしょうか

実は、その答えは比較的簡単で、僕たちが日常的に「恥かしさ」を感じる体験を思い起こせばわかるかと思います。皆さんは、どんな時に「恥かしさ」を感じますか? 自分の“なにを”守ろうとしていますか? 答えは、「人に見られたくない自分(部分)」「隠したい自分(部分)」を守ろうとしている、といことになろうかと思います。

人は、「人に見られたくない自分(部分)」「隠したい自分(部分)」が見られると、「恥かしい」と感じてしまいます。「人に見られたくない部分が見られたから、恥ずかしいと感じる」という心の動きは、素朴な解釈であって、実は、心理学的な見方でみると、「恥かしいと感じたから、それが、“人に見られたくない部分であった”と気付く」という理屈として理解する必要があります。つまり、「恥かしさ」という感情は、普段自分では、あまり意識することのない、「自分が人に見られたくない部分」を、改めて僕たちに教えてくれているのです

極端なことを言うと、「恥かしい」という感情がなければ、僕たちは、「自分が何を隠したいのか」「何を見られたくないのか」がよくわからなくなってしまう、ということでもあります。

わからなくなるとどんな不都合がおきるのか。「隠したい部分」や「見られたくない部分」が露呈されると、時に、それは、人から「弱み」「弱点」として、理解されたり、「攻撃材料」としてかっこうの餌食になったり、また、そのことをうまく利用されてしまい、自分自身が相手の思うようにされてしまう可能性や危険性が生じてしまいかねません。相手の思うようになってしまうことは、人間にとって、本質的に耐えがたいものであります。

これと似たようなことが、カウンセリングにおいても起こるのですが、時折、クライエントが自分自身の話(「人には恥ずかしくて言えない話」は特に)をし過ぎてしまって、なんとなく、カウンセラーのことが怖くなってしまうことがあります。「カウンセラーは、自分の弱みを知って操ろうとしているのではないか」という考えが頭から離れなくなり、カウンセリングをお休みするクライエントがいるのも事実であります。

先ほどの「恥かしさ」との関係でいうと、そう思えてしまうのも無理もありません。しかし、カウンセラーは、決して、「操ること」や「危害を加えること」はないので安心してください(尚、カウンセリングでは、なぜクライエントがそのような考えを持ってしまうのか、それをどう克服していけばいいのかという問題がテーマとなり、そのことによって、自己理解がさらに深まり、より強固な信頼関係が築いていいけるきっかけとなることがあるようです)。

 

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上記のように考えると、「恥かしい」と思う感情も、それが決してネガティブなものじゃない、自分を守ってくれる大切な味方なんだということが、なんとなくですが理解していただけたかと思います。しかし、実際に、僕たちが生活をしていると、「恥かしくて堂々とできない」という問題はなんとかして解決したいと思ってしまいます。

そのことの解決方法や、対応策については、【後編】で書いてみたいと思います。

 

「恥かしさ」も、自分を知る為の味方なんですね。

 

 

 

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「大丈夫!」という声かけは、本当に大丈夫?

 「大丈夫!」という声かけは、本当に大丈夫なのでしょうか? 今日はそのことについて書いてみます。

 

生活していると、心配になることは沢山あります。

部屋を出た時、電気を消しただろうか、ちゃんと鍵を閉めただろうか、職場や学校に人とうまく話せるだろうか、試験でいい点数をとれるだろうか、企画会議でうまくプレゼンできるだろうか、インフルエンザにかからないだろうか…等々。

よく考えると、そもそも、明日、自分が生きているのかどうかも不確実な状況であるので(例えば、事故にあったり、病気になったり等)、心配なことをあげると実にきりがありません。しかし、人は、なんとなくですが、「そんなこと起こるはずがない!」と言って、「心配していること」をうまく否認できたり、「大丈夫!」と自分で自分に声かけしながら(自分のこころの声)、不確実な世の中を必至に生き抜いています。

 

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さて、カウンセリングの話でいうと、クライエントも「心配していること」を沢山抱えて、カウンセリングルームに来られます。その「心配していること」のあまりの多さに、自分ではもう、うまく否認できなかったり、「大丈夫!」と言い聞かすことができない状態になっていることで、大変お困りになられております。

実は、カウンセリングルームに来られる前にも、身の回りのいろんな人に「心配していること」を相談していることが多く、その都度、「大丈夫だよ」「気にしすぎだよ」と励まされているにも関わらず、クライエントの心の中にある「心配していること」は消えることはありません。「大丈夫」と、頭ではわかっているけど、「自分のこころの声」として「大丈夫」というその一言が出てきません。

これは、とても不思議なことであります。

 

そのような状態にあるクライエントに対して、カウンセラーが「大丈夫ですよ」と声かけしたとしても、クライエントの「心配していること」は消えることはありません。仮に、消えたとしても、それはほんの一瞬のことで、カウンセリングルームを出るときには、再び、「心配していること」に取り憑かれてしまうことが多いような気がします。

また、肝心なことは、カウンセリングルームに来られる時には、「心配していること」も当然、悩みなのですが、それ以上に、「こんな感じになっている自分は大丈夫なんですか?」という悩みになっていることがあるということです。

つまり、「心配しすぎな自分が、なにより心配」という、新しく、解決するに厄介な悩みを抱えてしまっているということです。

 

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カウンセラーとしては、「自分への信頼」が揺らいでいるクライエントに対して、「そのことが気になるあなた自身は、決しておかしくない」というメッセージを送るように関わっていきますが、信頼を回復するにはとても時間がかかります。その為に、クライエントとゆっくりと時間をかけて一つずつ、「そうだよね」という体験を重なていくしかありませんし、カウンセラーはそのために全力を尽くしていきます。

 

今日のブログでお伝えしたいことは、自分の目の前で、なにか「心配していること」を抱えている人がいた場合に、安易に、「大丈夫!」と声かけずに、しっかりその人が「心配していること」に耳を傾けてほしいということです。「大丈夫!」という声かけは、安心感をもたらすこともあるかと思いますが、再び、訪ずれる「心配していること」によって、「こんなことを心配している自分自身がおかしいのではないか?」という、新たな悩みや葛藤を生んでしまいかねません。

 

「大丈夫だよ」という声かけが、その人自身の内側から沸き起こる「心の声」として発せられるように、その人の抱える悩みに寄り添い、その人自身をしっかり信頼してあげることから始めてみましょう。

 

 

 

 

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